更新日:2016年04月10日
日本語?日本文学専修
受験生へのメッセージ(遠藤 耕太郎)
「僕はずっと、指揮者になりたかった。やっぱり、音楽をやるっていうのは、言葉でうまく言えないところが表現できるっていうところが好きなんだろうな」
低く響く、心地よい語り口で、にこやかにお話しされる遠藤耕太郎先生。本学では、平成十七年度から短大文科で教鞭を執られ、その後文芸学部の教員となられた。
お生まれは、諏訪湖に面した長野県岡谷市。生まれ育った環境は、先生のご研究に繋がっているのだろうか。「高校は、周り全部が山だった。学園祭で、校庭半分ぐらいの直径のファイヤーストームに火を点けて、高く燃え上がってる中、肩を組んで走り回ったんだけど、そのうちに、言葉では言い表せない陶酔した気分になってきて。この体験は、人間の内面をどのように表すのかを考える学問、つまり文学研究を仕事にする今の自分の基になってると思う」
先生は、早稲田大学文学部で学ばれた。ご専門は、日本古代文学。この分野に興味を持たれたきっかけは、学生時代の合宿や旅行にあるそうだ。「とにかく仲間がいて、刺激を受けた。言葉以外のものに惹かれる自分が、『万葉集』を研究するようになっていったのは、そういう機会が大きかった。だから、僕は今、合宿も旅行もやってるんです。多くの人に参加して欲しい」
ご卒論のテーマは、歌垣。「歌垣は、歌を掛け合って、男女が結婚していくお祭り。自分の感情やなかなか言葉にできないような相手への思いをどう表現するのかというところに興味があったから。ところが、今までの研究史を押さえてみると、日本の古代の歌垣の歌は、ほとんど残っていない。それで、学部の三年のときに中国に行った」。中国の少数民族の間では、歌を掛け合う習俗が残されているそうだ。
その後、大学院に進まれ、現在も毎年、中国に行かれ、調査をなさっているという。「一番長いときは二年半、モソ人という母系社会の村にいたんです。奥さんと行ったんだけど、恋歌を歌っている場面に出くわしたとき、男が一人でビデオを回し始めたら、彼ら、逃げますよ、普通。ところが、女性がいることによって、とてもスムーズにいった」とのこと。先生のご著書『古代の歌』(瑞木書房?2009)には、奥様が撮影された写真がたくさん載っている。なお、アジア民族文化学会のHPでも、先生の調査の様子が見られます。
最後に、共立生の印象を伺った。「既成の枠を対象化できる人が多い。例えば、「意味」に自分がどれだけ縛られているのかを割と素直に理解できる」。それは、どういうことなのか。「授業でやったんだけど、古代の歌を真似て、一人称と三人称がごちゃ混ぜの文章が作れるということ。それって、今の文法では通じないよね。今の文法に従うということは、意味重視の世界を生きていくということ。でも、人間は、言葉で説明できないものをいっぱい持っている。そういう人間同士が付き合うとき、意味を重視するだけではまずいんだ。そこに気付けるということ」
そして、受験生へのメッセージ。「高校生はまだ狭いから、異文化のことはほとんどわからないんだよね。それでいいと思う。共立でぜひ、今まで知らなかった文化について学んでほしい。そして、恐れずに、そこに飛び込んでほしい。怒られることも、傷つくことも、もちろんある。でも、周りとの関係の中で、自分が生きていく方法ってわかってくるから。そういう中で、自分を創っていけばいいと思う」