更新日:2016年04月10日
文化専修
受験生へのメッセージ(國分 建志)
─『説日語』の誤植の世界─
受験生の皆さま,おほようごぎぃます。ね元気ぞすか?はじあまして,どぅぞよろしく。
…え~,奇妙なご挨拶から入りましたが,これは1990年代の中国で出版された『説日語』(=日本語を話そう)という日本語会話集に出てくる例文です。
実はこれらはみんな誤植です。「は」と「ほ」,「ざ」と「ぎ」,「お」と「ね」,「で」と「ぞ」,「め」と「あ」,のように形の似た平仮名の間で誤りが生じています。中国の人々は日本特有の文字である平仮名や片仮名になじみがないため,制作の過程でこのような間違いが生じたのです。
『説日語』にはこんな例文が満載です。いくつかご紹介するので,しばし勉強の手を休めて(※このような文を読んでいる時点で,すでに勉強の手は止まっていることと思いますが),正しい文を当ててみてください。
①おほようござぃまよ ②めたたかいコーヒー ③パスケっトーホル ビンボン ペドミントン ④きれいごす。すごいわや。 ⑤ね茶をぞうそ。 |
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①めなたがわたしに細かい金をくださいませえか。 ②ず気に召しましそか。 |
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①すみませんが,ててはどてですか。 ②タクミーでとてでもぃくてとができます。 ③であんをさぃ ④あなたは中国語がでぎますか?るよつらでさます ⑤てれがあれとり上等ごす。 |
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①どうぞねかはくだちぃ |
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①やかをとてそへ行またぃぞすか ②ミソブーしますから,どうぞてさらへ。 ③もぅなんたたろいたしたか。 ④ちょっトずそずわしますが,郵便局は何時から開きますか。 ⑤まょろけ何曜日ごすガ。まょぅは日曜日こす。 |
いかがでしょうか。こんなにも“破壊力”に満ちた愉快な表現は,狙って作れるものではありません。まさに偶然が生んだ奇跡です。
私は『説日語』の存在を知ってたいへん魅了され,それ以来この本のことを調べています。調査の結果,『説日語』は1種類しかないのではなく,誤植の現れ方などに違いのあるテキストが20種類ほどあることが分かりました。推測の域を出ませんが,これらは少しずつ改訂を重ねた正規版と,正規版を無断でコピーした海賊版とに分類できるようで,相互に比較したところ,複数のテキストの間に継承関係がうかがえることも分かってきました。
この本が出版された当時の中国は,改革開放政策が本格的な歩みをはじめ,日本を含む海外のさまざまな物や情報が急速に流れ込んできた時期です。『説日語』は,こうした時代状況のもとで,海外へ目を向け始めた中国人のニーズに応えるために作られた本であり,この本を見れば,この時期に日本語や日本文化がどのような形で中国社会に受容されていったのか,その一端をうかがい知ることができます。言い換えれば,『説日語』は現代中国の大衆文化の形成に日本文化がどのように関わってきたのかを考えようとした時に,大切な資料となる可能性があるのです。その一方で『説日語』のような実用書は,文学作品などとは異なり,用が済めばすぐにうち捨てられてしまうものです。今のうちに記録にとどめておかなければ,この名もなき書物は,時の流れのなかにはかなく消え去ってしまうでしょう。私はそんな思いから,資料の収集保全と分析に取り組んでいます。
私たちの身の回りにある,一見するとなんの役にも立たない,取るに足らないような物でも,じーっと見つめ続けていると,そこから思わぬ世界が広がっていくものです。みなさんがどちらの大学に進まれても,そんな刺激的な存在との出会いに恵まれるよう願っています。
(この研究に興味を持たれた方は,こちら をお読みください。)
オマケ