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更新日:2019年07月09日

【国際学部】リレー?エッセイ2019 (8) 宇野直人「制約の中から自由を ――TV版『鉄腕アトム』の技法―― 」

制約の中から自由を ――TV版『鉄腕アトム』の技法―― 

宇野 直人

 『鉄腕アトム』のTV版(本稿では昭和三十八年から四年間、白黒で放映された最初のシリーズを指します)は、リミテッドアニメ、つまり動かす部分を目や口など最小限に抑え、作画枚数を減らす技法によって制作されています。そのため、動画とは言いながら、実際には静止画像のつなぎ方やカメラワーク、効果音、音楽との相乗作用によって動感を作り出している場面もまれではありません。

 その結果、たとえばディズニーなどのフルアニメ(一秒二十四コマの絵を一枚一枚描いて動かす)作品の、自然に流れる動き、人物の表情の多様さに比べると、『アトム』は一見、動きに乏しく、生硬な印象を与えるでしょう。

 しかし不思議なもので、慣れるとむしろその方が、動画によって動きのすべてを完全に伝え尽くそうとするフルアニメよりも、一段と豊かなイメージを喚起するように思えて来るのです。


 察するに、リミテッドアニメを見る者は、半ば無意識のうちに想像力?連想力を働かせ、「不完全な」動画を脳内で補正し、ふくらませているのです。フルアニメを見る時、完全な動画をただ享受している受け身の脳は、ここではみずから作品世界に参入する、主体的な脳として働いています。言い換えれば、フルアニメは完結し自足した、閉ざされた世界。リミテッドアニメは観る者の参加を許容し、むしろ求める、開かれた世界。

 これはもしかすると、余白や間(ま)を重んじる、日本独自の美意識につながっているかも知れません。


 つまりリミテッドアニメは、フルアニメに劣る稚拙な技法ではなく、優に別個の表現スタイルとして確立しているのです。その普遍性は、この技法が『名探偵コナン』や『しましまとらの しまじろう』『それいけ! アンパンマン』に至る今日のTVアニメに継承され定着していること、および、同じ技法による宮崎駿の作品が海外で高く評価されていることによって証明されるでしょう。


 ここで興味深いのは、このリミテッドアニメの技法が、もともと、費用や時間、人手が著しく制限されていた『アトム』の制作現場で、言わば苦肉の策として採用されたものだった、ということです。思えば、人の行動や思考はしばしば、全く自由で快適な場よりも、制約や不備の多い場においていっそう活発に働き、大きな成果を挙げます。〈詩〉という文学形式にしても、あえて句形や押韻など窮屈な枠を設け、その中で人間の心を無限に羽ばたかせようとするものなのですが、ふだんの生活の中でも、私たちがこの不思議な現象を実感することはよくあるのではないでしょうか。「背水の陣」「火事場の馬鹿力」などのことわざも思い合わされます。


  その点、わがTV版『アトム』(放映当時、アニメという語はなく、「テレビまんが」「漫画映画」と呼んでいました)は、この〈制約の中でこそ自由が実現される〉という逆説的真理を典型的に、力強く体現してみせた作品だったのです。このシリーズがVHS、LD、DVDなどに装いを変え、今なお人々に愛され続けている事実は、このような技法の面から考えても十分に頷けると思うのです。


 ここで取り上げたモノクロTV版『鉄腕アトム』は全193話、その作風は多岐にわたりますが、傑作?佳作は前半期に多いようです。

 ご参考までに少し触れておきますと――


〔参考〕 


第31話 黒い宇宙船の巻

 初期の異色作。作中、暗闇の中を怪物の気配が迫って来るシーンは、いま観ても背筋が凍ります。

これもまた手塚ワールドの一面です。この点、あのあまりにも有名な主題歌の歌詞は、『アトム』の

世界をよく表しているとは言えません。『アトム』、ひいては手塚治虫の作品には、人間への不信感

や科学?文明への懐疑の念が色濃く流れています。

 

第57話 ロボット学校の巻

 冒険ものの王道の三要素(危機に陥る美女、マッドサイエンティスト〔常軌を逸した科学者)の登場、

正義感にあふれる子どもたちの活躍)が揃った快作。

 

第87話 新かぐや姫の巻

 中期の抒情的名作。満月の夜、プリンセスが自分の星へ帰るため繭(まゆ)にこもり、やがて女王の

姿となって現れるシーンは、悲しくなるほど美しいものです。



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